30数年前の海外デザイン指導の思い出・韓国編
JIDA会員(永年会員) 仁保清親
今から30年ほど前にJIDA事務局から韓国のデザイン指導の依頼を受けた時の状況の話をしたいと思います。
かなり昔の事なので、記憶が定かでないかもしれませんが、当時を思い出して述べてみたいと思います。
当時、1993年ごろ、韓国デザイン振興院(旧 韓国インダストリアルデザイン&パッケージ開発院=KIDP)からJIDAへ、デザイン指導の招聘が舞い込みました。当時は韓国と日本は友好状態が続き、日本企業が韓国に進出しており、経済活動が活発に発展をしておりました。
そして今日の様にインターネット、スマフォーン等々の様に便利なものがない時代でしたから、渡航する為のパスポート、ビザなどの収得方法から、渡航先の企業が教育的目的のデザイン指導なのか新規商品製作的な作業目的の為なのかと色々と話し合いが行われました。その当時、事務局長は渡航に関して動かずの姿勢なので、仕方がないので、私が都内に住んでいる理由で、渡航準備委員の代表にされてしまいました。そして韓国への渡航方法を知るために有楽町にある韓国観光公社、韓国大使館に行き、渡航方法を教えて頂きました。それらの情報をファックスで渡航に不慣れなメンバーに送り続けました。(当時の通信手段は固定器の電話かファックスしかなかった時代です。)
そしてみんなの渡航の準備はでき、韓国KIDPから招聘状が事務局に届くようになりました。当時、日本に留学していた職員がKIDPのデザイン指導の担当をしていたので、毎回JIDAの事務局職員との連絡があり、細かな打ち合わせができていたようでした。なんだかんだ事が進み、招聘状が個々の指導員に届き、個々に出発して行きました。
私も成田からソウルの金浦空港へ行きました。噂の高い荒っぽい運転をする大韓航空にのって行きました(噂によると韓国の空軍のパイロットが大韓航空に再就職をして、戦闘機並みの運転をしているという話を聞いているので、少し怖く感じました。)金浦航空到着、税関に招聘状を見せて、すんなり通過、さすが「招聘状大明神」と思いつつ、空港の待合場に待ち構えたKIDPの職員とソウルのKIDPの事務所に行きました。KIDPの担当職員から依頼メーカーの人達の挨拶並び名刺交換をいたしました。名刺の役職名を見ましたが、日本とそんなに変わらない名称でした。
簡易に説明しますと
韓国:社員<主任<係長<代理<課長<次長<部長<理事<常務<専務<社長<会長
日本:社員<主任<係長<課長<次長<部長 <取締役部長 <常務<専務<社長<会長
の順になるわけです。さて、向かいに来てくれた指導する木工メーカーのH社の人達と一緒に仁川(インチョン)の工業団地まで車で行きました。時間的には車で2時間半から3時間かかる距離でした.。 夕方に仁川の町のRホテルに到着し明日から指導に行くことになりました。
昨年までは夜12時過ぎると外出禁止令がでて街並み人っ子も出ないという話を聞いておりました。いまは自由に深夜を歩き回れますが、時たま街並みに軍隊の一小隊のトラックとジープが巡回をしているのが見えました。・・・まだまだ朝鮮事変の傷跡が残っていました。また仁川の高層マンションなどの一角に小さな小屋が必ず設置されており、その小屋の中に北朝鮮軍が攻めてきた時に戦うための小銃などの武器が収められている
とのことでした。またそのマンションの自治会が厳重に管理をしているとのことでした。日本ではありえない話です。
韓国来日から2日目いよいよ、デザイン指導のためにメーカーに出向しました。現地に着き、各部署の紹介と開発関係者の紹介、並び工場見学を行いました。工場はあまり機械化されておらず、工員数が多くいたような気がします。その当時の工場の設備からすれば、日本では半分または三分の一で済みそうな感じでありました。基本的には木製品が主流でありますが、一部スチール製品も生産をしており、多角的な生産方式をとっておりました。
さて問題は開発スタッフがどのレベルなのか、渡航する前に事前の教育プログラムが役に立つのか、という点とこの企業は何が問題点なのかを探っていかなければなりません。デザイン指導を行うための前段階の状況の把握と方向性の修正などの確認を行うために、日本の大手7社ほどのオフィスの家具の総合カタログを見せながら、当時の日本の現状を話をしました。彼らは目を輝きながら各日本の商品を見ていました。突然開発スタッフの一人が、「これコピーしていいのか?」という質問に対して一瞬ドッキとしました。考えてみれば当時、韓国は物まねだらけの商品が市場に流れていました。余談になりますが、渡航到着後、ソウル市内に行きましたが、車のスタイリングが、トヨタ、日産、ホンダなどのそっくりな車種が走っていました。当時として物を真似ても(コピー)別に問題にならないという悪気のない思考があるように思いました。数日間にわたって、特許、マーケティングなどの製品化するための問題点を細かく説明を行いました。そして数日間にわたり、発想の展開やアイデアのまとめ方なども指導しました。韓国の家具関係の市場は、日本と同じく、零細から中小企業が多く、経営が不安定な業界であると思いました。
指導も半ばごろ、KIDPから企業の方に急に連絡がきて、3日後にソウルのロッテホテルで午前8時30分朝食会があるので 来てほしいという連絡がありました。つまりKIDPの理事長が主催で行いたいという趣旨の内容を告げられたのです。一瞬、驚きました。デザイン指導の時は朝8時から夜8時まで(12時間)指導をしているわけであり、ホテルに戻ってくる時間は早くて夜9時ごろ、食事を済ませて、翌日の指導の準備作業などを終えて、就寝時間は0時か1時頃である。 ソウル、ロッテホテルに朝8時半の会合は仁川からでは朝4時頃にスタートしなければならないのです。
つまり朝方は車が混むので時間がかかるのです。たまりかねてKIDPの職員に、ソウル市内に指導に行っている人達だけでやってもらいたいと、話をしましたが、断れてしまいました。やはり全員参加らしいとのこと。ここは日本ではない。外国なのだと思いつつ、承諾をしました。
朝3時起きの4時ごろスタートの7時40分ごろソウル、ロッテホテル到着、会議室にて待つ、8時30分ごろいや、9時ごろにKIDPのトップのR理事長とやらが入室してきた。個々の自己紹介が終わって、理事長がグラスにスプーンをあててグラスを鳴らした、彼が自慢そうに海軍の将校の挨拶と会議開始の合図と述べた。しばらくはR理事長の自慢話が続いた(内心、日本以外、イタリアや数か国のデザイン指導者が来ている前に自慢話と、見栄の張りすぎと思った。)、ヘキヘキとしたとき、R理事長が急に大きな声を出した、日本語の通訳、他の通訳の声が邪魔だったのだろう。みんなの前で通訳職員に対して怒り出したのである。冷えたまずいモーニングを食べ、冷えたコーヒを飲みながら聞き流しておりました。本当このKIDPのR理事長は国際的感覚がない御仁であり、とどのつまりKIDPの王様なのである。
会議後記念写真を撮ったり、招聘を受けた人たちとしばらく会話を楽しんだ。2時間程度ロッテホテルを後にして仁川へ戻ったのである。昼過ぎに仁川につき、工場の食堂で食事をしたが、本場のキムチは非常に塩辛く、食えたものではなかった。仕方がないからボールに水を入れてもらい、キムチを洗い
ながら食べた。赤ちゃんの食べ方と言われ,笑われた。(むかつく・・・)。長い一日が過ぎ、ホテルに戻り就寝をしました。
翌日から、より実践的なデザイン指導を行いました。市場の動向を見るため、ソウルに行ったり、色々なところをリサーチしたりして市場の製品の流れを研究・調査をしました。途中小腹がすいたので、立ち食いうどん店でかけうどんを食べました。味は日本よりややキムチ風で、付け合わせに大根の漬物が出てきました。当時の値段は1500ウオン(約150円)、日本のかけそば価格は約300~400円程度だったような気がしました。(まずかったという記憶があります。)
調査は色々な家具屋など回りました。ソウル市内は坂だらけの街並みで非常に疲れた記憶がありました。
最終的に方向性の決定と具体的アイデアだしのスケッチ制作を行い、経営者に提案を行いました。評価については色々ありましたが、とりあえず、数点製品化することになりました。オリジナル性を持たせたことに意義があったと思います。また開発スタッフはいい経験になったと思います。
某スタッフについては今までは外国(日本など)の商品をみて、デザインをちょこっと(・・・・・)まねたりしていたが、方向性を決め、アイテムの選定をしながら製品開発をしていく工程作業は初めての経験であるとの意見が出たのは嬉しかった。
(韓国の家具業界も日本と同じく、中小・零細企業の多くは、それほど開発システムの進んでいない業界だと思いました)
さて指導期間が終わりに差し掛かったころ、デザイン指導の報酬として支払いを受ける日であるが、何の連絡もない。
KIDPの事務局に連絡をしたが、経理の人間が軍事訓練で3~5日間軍隊に行ったので、支払いの件は分からないという返事である。たとえ民間の契約に対して一方的な変更が許されていいのかKIDPは公共団体なのである。
例のロッテホテルの朝食会の時に、R理事長を怒らした件で嫌な顔がしたのが、お尾を引いているのか、多分、R理事長の仕業と思ったのである。KIDPの王様なのである。後日、職員が金額を仁川まで持ってきてくれた。支払いはウオンであった。当時、日本ではウオンを円に両替する銀行は少なかった為、指導していたスタッフが、仁川の各銀行に行ってウオンから円に両替できるよう動いてくれました。このことは本当に感謝をしました。(丁寧に教えてきてよかったと思いました。)問題は報酬支払い遅延のことである。約束事を平気で破る国柄であると思った。また感情的に動く国民性気質があることも知った。KIDPの組織のトップは何をやっても許されるという体質があるようだ。
このことは、日本でもいえるかもしれない。一年前にどこかの団体の10年ほどやっていた理事長が、会員の意見など無視して、告示もせず、選挙方法を勝手に変えたり、その団体のルールを平気に変えたりするのである。また集会の手順を間違えや時間のロスが出れば、自分の社員でないにも関わらず、スタッフに対して、大声で怒鳴ったりしたりする。まさに、韓国版王様である。そして事の先を考えていない「朝に夕べを謀らず」である。気持ちよく人を動かすのもトップの器ではないか!
そして、自分の都合のいい人間を次の理事長に推挙する始末である。また推挙された者も、イベントに出ては、自慢話と自己の売込みばかり、「お里が知れる」のである・・・・さて色々と30年前の韓国のデザイン指導の恥ずかしい事を語ってきましたが、とにかく良し悪しも、いい経験を致しました。そして、JIDAがあったからこそ体験できたと思いました。JIDAに感謝、感謝です。しかしながら、今のJIDAは色々と問題があるようです。新しい情報に飛びつくのもいいけれど、モノづくりの基本姿勢だけは決して崩さないでほしいと願っています。
以上、30年前の韓国デザイン指導の体験談でした。