JIDA

EAST JAPAN BLOC 東日本ブロック

コラム5「デザイナーの常識、良識、見識」

 

 

安藤 孚
東日本ブロック

協会は、2年後の2022(令和4)年に創立70周年を迎える。今回は、その前半の協会活動実績を次回には後半の協会活動実績を整理してみたい。
1952年の協会創立後には、日本デザイン団体協議会の発足に向けて関係各7団体が設立され、国際インダストリアルデザイン団体協議会(ICSID)の設立、世界デザイン会議(WoDeCo)、京都国際デザイン会議をはじめ、国内の日本インダストリアルデザイン会議、JIDAデザイン会議、など等、輝かしい実績を誇る。特にこの前半の協会活動の中でも「JIDA基金」の設立は大きな意味があると思う。

 

協会論(5)

1  時代背景

元会員のJIDAデザインミュージアム委員の天野登功広さん(株 東海理化)から頂いた「1950年〜1990年のデザイン年表」を参考に協会史と時代背景を確認しておきたい。

  1. 50年代 物不足    JIDA  ICSID 留学制度 Gマーク制度 三種の神器
  2. 60年代 物の充足   高度成長期 学習期 東京五輪 新三種の神器(3C) WoDeCo
  3. 70年代 豊かさを実感 大阪万博 石油危機 世界デザイン会議(京都)
  4. 80年代 物の多様化  平均寿命(男女)世界一 JIDA基金 世界デザイン会議(名古屋)
  5. 90年代 目標の喪失  デザインの日(10/1) バブル崩壊

2 業界団体 協会が加盟している団体

  1. 52年 公益社団法人 日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)創立 会員500名
  2. 56年 公益社団法人 日本クラフトデザイン協会(JCDA)創立 会員200名
  3. 58年 公益社団法人 日本インテリアデザイナー協会(JID)創立 会員210名
  4. 59年 一般社団法人 日本空間デザイン協会(DSA)創立 会員220名
  5. 60年 公益社団法人 日本パッケージデザイン協会(JPDA)創立 会員535名
  6. 64年 公益社団法人 日本ジュェリーデザイナー協会(JJDA)創立 会員385名
  7. 65年 公益社団法人 日本サインデザイン協会(SDA)創立 会員230名
  8. 78年 公益社団法人 日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)創立 会員3,000名
  9. 66年 日本デザイン団体協議会(D8)発足
  10. 57年 国際インダストリアルデザイン団体協議会(ICSID)設立 会員

 

3 学習の時代

戦後、欧米を経緯して日本に導入されたといわれる、デザインの概念やデザイナーという職能について、協会会員の宇賀洋子さんは「工業デザイン全集(理論と歴史)」で詳しく記述している。1950年頃から、国内ではデザイン専門教育機関次々と発足し、同時に海外からの著名なデザイナーが来日し、例えばイサムノグチ、レイモンドローウィ、バーナードリーチ、シャルロットペリアン、ヴアルターグロピゥス、ルコルビュジェ、ラッセルライトなど等。更には1956年から産業工芸試験所(旧)も15年間に30人の外人専門家招聘計画を実施、国内でのデザイン講演会、講習会を通して日本のデザイナーや学生は学習に励んだ。
1955年からは日本貿易振興会(JETRO)の「短期留学制度」も実施され日本の「貿易立国」に寄与したともいわれる。

 

4 デザイン会議

  1. 協会創立の8年後に「世界デザイン会議(WoDeCo)」が戦後日本で最初に開催される。
     東京会場 会期 1960年5月11日〜16日
          会場 東京大手町産経ホール 
          会議テーマ 「我々の世紀 その全体像」 参加者 495名
     大阪会場 会期 1960年5月17日〜20日
          会場 大阪産経会館  参加者 1,600名
  2. アジアで初の「ICSID世界デザイン会議(京都)」が開催される。
    「73 デザインイヤー(73年4月1日〜74年3月31日)」と関連しての開催となる。
    総会 会期 1973年10月8〜9日  会場 東京・京王プラザホテル
    会議 会期 1973年10月11〜13日 会場 京都・国立京都国際会館
    会議テーマ 「人の心と物の世界」 参加者 2,245名
    60年代の日本は、高度成長期を迎え物の豊かな生活を得た。その一方で公害や環境問題が発生、73年の第1次石油危機と共に社会は生活と産業の量的充足から質的向上への転換が求められる時代の中で、デザインの果たす役割は何か、が求められている。
    デザインイヤーの国内展示事業
    10/6〜11 名古屋展 10/9〜14 東京展 10/18〜23 大阪展 10/18〜23 札幌展 
    11/9〜14 戦台展 11/9〜14 岡山展 11/9〜14 北九州展 11/30〜12/5 高松展

 

5 JIDA基金

設立の背景

任意団体の協会も1969(昭和44)年には社団法人になり、会員も700名を超え積極的活動と共に社会でのデザインの真価を問われる時代。その一方で協会は、期待される事業活動と厳しい財政事情が大きな課題となっていた。1957年から始まったGマーク制度も20年、1977年には「デザイン月間(10月)」の設置など、デザインの社会的認知が高まってきた。
1982(昭和57)年、協会は30周年を迎えたことを機会に更なる発展を目指して協会のパワーアップのために提案されたのが「JIDA基金」である、と理解している。

JIDA基金準備委員会

JIDA基金準備委員会(委員長 鴨志田厚子 副委員長 斉藤忠男 委員 木村一男 岩崎信治 長島純之)は最初に、豊口克平、佐々木達三、小池岩太郎、皆川正、栄久庵憲司、真野善一寿美田与市のJIDA歴代理事長7名に、JIDA基金の発起基金(火種として)へのお願いを開始した。この時点で既に豊口克平より50万円、皆川正より50万円のご記帳をいただいていた。その後、豊口協、木村一男から各50万円の寄附をいただいている。

寄附

  1. 豊口克平  500,000円 1982年 (1954年理事長 故人)
  2. 皆川正   500,000円 1982年 (1969年理事長 故人)
  3. 佐々木達三 500,000円 1984年 (1952年理事長 故人)
  4. 小池岩太郎 500,000円      (1957年理事長 故人)
  5. 栄久庵憲司 500,000円 1984年 (1970年理事長 故人)
  6. 真野善一  500,000円 1984年 (1979年理事長 故人)
  7. 寿美田与市 500,000円 1985年 (1981年理事長 故人)
  8. 豊口協   500,000円 1991年 (1985年理事長)
  9. 木村一男  500,000円 1993年 (1993年理事長)

基金による事業内容としては

  1. 国際交流及び国内交流に関する事業
  2. 研究の助成
  3. JIDA賞並びに関連調査
  4. デザイン博物館又はデザイン情報センターに関する調査
  5.  施設、設備の拡充整備に対する援助
  6. その他必要な事業


JIDA基金の理解
公益法人としての協会は、公益性の確保と共に、綱領にもあるように、職能価値の向上に努め関係分野との共創活動を通して生活環境の向上と産業発展に寄与する団体である。「デザイン」は社会(生活、文化、産業)を豊かにする。この「デザインの社会的有用性」の普及啓蒙を通して「職能の健全産業化」を定着させるために「コラム 1」で記述した通り協会の1前方支援(公益活動)、2後方支援(共益活動)、3側方支援(共益活動)などの活発な活動展開の為にこの基金があるのであって「JIDA基金」は、単なる赤字補填に使う基金ではない、と理解している。
「大学卒業の初任給が2万円位の頃の50万円は大きい(木村一男)」。慎重に対応したい。

 

情報収集(5)

新聞記事から

人が3人寄れば社会が生まれ、人の口が3つ寄れば評判が立つ。「品」という字はよくできている。——(中略)——
近頃、悪しきウイルスから人の口を守る品と、それに関わる人の品をめぐり考えさせられることが多い。甲府市の中学1年生、滝本妃さんは薬局でマスクを買いそびれた高齢女性の姿に胸を痛め、山梨県に手作りのマスクを612枚を贈った。お年玉貯金から8万円を下ろし、材料費に充てたという。映像で拝見したところ、一枚一枚を袋詰めにし、「お役に立ったらうれしいです」と自筆の手紙も添えていた。手の温もりを込めた一品。そこから漂う薫り高い一品。一陣の風が吹き抜けるような心地よさを覚えるニュースだった。50代の静岡県議がネット上で大量のマスクを売りさばいたとの報に接したのは、10日ほど前である。1セット2千枚を、多いときは数セット単位で出品したらしい。品薄のさなか、代金の多寡を問わず飛びついた人は多かったろう。自身が営む商社で、以前に仕入れた商品の在庫という。世の困窮に付け込んだ、いや機を見るに敏の、腕利きの商売人である。それにしても一針ごとに「お役に立ったら」の願いを込めた女子中学生の深慮に打たれる一方で、重い職責を担う人の行いに品格のかけらも感じないのはどうしたことか。売り上げは計888万円に上がったらしい。口ならぬ八が3つ。人としての大切なものと引き換えに、何を得たのだろう。件の県議は、売り上げをウイルス対策に役立てたいと語った。人としての品をこれ以上落とさぬよう、善処を願ってやまない。
 (産経抄 2020/3/22 産経新聞)

 

雑考 その他(5)                                 

新聞記事(SDGs)から
「持続可能な開発目標(SDGs)」は、達成期限の2030年まであと10年。未来の自分、未来の暮らしを想像することが、世界共通の目標であるSDGs達成につながる。——(中略)——SDGsは、どの程度達成できているのだろう。国連の「持続可能な開発目標報告2019」は目標の進捗状況を記す。

  1. 貧困をなくそう 7億3600万人
  2. 餓死をゼロに  8億2100万人
  3. 全ての人に健康と福祉を 540万人
  4. 質の高い教育をみんなに 6億1700万人
  5. 働きがいも経済成長も 4,8%
  6. 産業と技術革新の基盤をつくろう 114ドル
  7. 住み続けられるまちづくりを 4人に1人
  8. 気候変動に具体的な対策を 約1’C

 

2019年のSDGs達成度ランキング
 1位 デンマーク
 2位 スウェーデン
 3位 フィンランド
 4位 フランス
 5位 オーストリア
 6位 ドイツ
 7位 チェコ
 8位 ノルウェー
 9位 オランダ
 10位 エストニア


世界人口は増え続け、57年には100億人に達する見込み。達成は将来世代に対する現世代の責務でもある。
  (18才の1票 2020/5/16 読売新聞)
         
 以上